日本橋大伝馬町(にほんばしおおでんまちょう)
大伝馬町という町名の成立は古く、江戸開府のころには、現在の千代田区にある皇居の呉服橋の辺りにありました、伝馬とは馬の背に荷物を積んで、宿から宿に送る制度をいいます。その役所が江戸城の呉服橋門内にあったために町名となったのです。
慶長11年(1606)に隅田川河口の浜町一帯の海兵の埋立てが完了した後に、現在地に大伝馬町は移転しました。当時は西から東へ大伝馬町1~2丁目があり次いで通旅籠町、さらに通油町が続いていました。伝馬役を務める馬込勘解由も旧大伝馬町2丁目の北側に屋敷地を拝領し、伝馬役と町名主を世襲で務めました。
馬込氏は三河(愛知県)の出身で、その配下の町民が三河木綿の売買に、町内で木綿問屋を開店し、これが後に、大伝馬町の木綿店と呼ばれる木綿問屋街を形成し、近年まで繁栄する基を築いたと伝えています。馬込邸内に宝田稲荷があり、現在も神社として残っています。とくに旧大伝馬町1丁目にあった木綿問屋小津清左衛門は大店として有名でした。
旧大伝馬町2丁目にあった俚俗地名の肴店は、昔、毎年正月10日に魚市が開催された場所といわれています。
馬込氏は三河(愛知県)の出身で、その配下の町民が三河木綿の売買に、町内で木綿問屋を開店し、これが後に、大伝馬町の木綿店と呼ばれる木綿問屋街を形成し、近年まで繁栄する基を築いたと伝えています。馬込邸内に宝田稲荷があり、現在も神社として残っています。とくに旧大伝馬町1丁目にあった木綿問屋小津清左衛門は大店として有名でした。
旧大伝馬町2丁目にあった俚俗地名の肴店は、昔、毎年正月10日に魚市が開催された場所といわれています。
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