日本橋小伝馬町(にほんばしこでんまちょう)
江戸時代の当町域は、神田堀(神田八丁堀)に面した町人町で、小伝馬町1~3丁目・小伝馬上町・亀井町・元岩井町埋立地・柳原岩井町上納地の全域及び通旅籠町・大伝馬町2丁目の各一部から成りたっていました。
この地は徳川家康が江戸に入部する以前は、千代田村といわれ、奥州街道が通っていました。六本木という宿駅があったといいます。
はじめ小伝馬町は大伝馬町と共に伝馬町といわれ、慶長11年(1606)に江戸城内にあった伝馬役を務める人々がいた町であったのを当地に移転した町でし。旧小伝馬町は1~3丁目に分かれ、小伝馬町1丁目の北半分は、小伝馬町の牢獄の地域になっていました。1~3丁目の町名主は宮辺又四郎が代々世襲して勤めました。
寺院があり、東光寺と地蔵院は明暦3年(1657)の大火の時、浅草(台東区)へ移転しています。京橋の金六町と同じく障子などの建具職人と長持つくりの職人等の多い町でした。商売としては、布地や家具や塗物を商う商人が多く、畳屋・附木屋・指物師がおり、職人の町としても賑わっていました。1丁目には大仏師の元慶がおり、幕末には質屋1軒と資料に見えています。
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