日本橋本町(にほんばしほんちょう)

カテゴリー: 未分類 — admin @ 4:04 PM
東京都中央区日本橋本町
 本町1丁目は、昭和7年9月、伊勢町の一部、瀬戸物町の東一部、東小田原町の東半、安針町東大部、本船町の東大部、それに長浜町の通路を合併して出来た町です。安針町などは家康入国前からあった江戸のみさきに当るなどの説もあり、ウイリアム・アダムスが拝領した土地として知られています。勿論後には魚市場になりました。江戸が賑やかになってからは、鳥問屋が多くあったといわれています。本小田原町は本町1丁目と室町1丁目にまたがった町になりましたが、初期の建設時代には石置場だったので本小田原町の名がついたといいます。勿論魚市場内でした。本船町も同様、両町に別れ、魚河岸の魚問屋で賑わった所でした。昔は堀留町の一部もここにあり、堀留川が流れていて、伊勢町も一部をなし、物資、特に乾物穀類がここに荷揚げされたなどの話もあり、江戸商業の中心をなしていたことはいうまでもないようです。
 本町2丁目は昭和7年9月、伊勢町の北の大部と瀬戸物町の一部、大伝馬町1丁目の南一部堀留町1丁目、本町4丁目の南半、本町3丁目の南一部を合わせて出来た町ですので、まず大体は本町1丁目と似た江戸商業の中心地でした。
 今でも、山之内製薬、三共ヨード、大日本製薬、田辺製薬など、ビルの林立した町ですが、江戸以来の薬品問屋の町で、薬の仕入にはここに来なくてはならなかったほどの町でした。関東大震災までは各店々の金看板のずらりと軒なみ続いた姿は、日本橋の一名物といわれました。
 本町3丁目は昭和7年9月、本町3丁目の東一部と、4丁目の北半、大伝馬町1丁目の北大部、鉄砲町の南一部、本石町3丁目の南一部、同4丁目の南半、岩附町を合併して出来た町で、随分変化のあった町です。旧本町3丁目には江戸町方を総支配する町年寄の一人、喜多村の宅がありました。大伝馬町は朱印伝馬を勤める町として、何かにつけ江戸の町の筆頭として名主馬込勘解由と共に重要な地位を占めていました。この大伝馬町、1・2丁目とも木綿問屋が多く、南北両側とも、同業者のみで、木綿店とよばれ、伊勢商人の中心で、ただ一軒だけ伊勢屋源七という砂糖店があったのみという話です。
  この辺は宝田えびす神社の恵比須講に、べったら市がたち、路上で浅漬の大根を売る年中行事が、今もなお続いています。  宝田恵比須神社は「商売繁昌、開運の神」として信仰が厚く、本尊は運慶作などともいわれ、家康が寄進したなどとの伝説もあり、古くからの神社として、大伝馬町の発展と共に厚く商家の人々に信仰されて来た話もあります。毎年江戸の商家では10月20日に「恵比須講」といって、恵比須神を大黒と共に祀り、鯛などを供えて祀る風習があり、それ等の供物を売る市が立ったといいます。
 本町4丁目は3丁目の北の町で、昭和7年9月、本銀町3丁目東大部分と鉄砲町北半を合併して出来た町で、町北は龍閑川の河岸地であったが、今は埋めたてられてありません。昔は大伝馬町に属した地で、行徳から来る塩をこの河岸の入堀で陸あげして馬に積んだので岡附塩町などとよばれた時もあったといいます。鉄砲町は3丁目・4丁目に編入されてなくなりましたが、幕府の鉄砲師胝宗八郎の受領地として知られていました。旧本石町3丁目は、石町とよばれ、鐘撞新道にあった石町の鐘は時の鐘の第1号として有名で、辻源七が管理していました。今は十思公園内に保存されています。

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