淡路町一丁目(あわじちょういっちょうめ)

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東京都千代田区神田淡路町1丁目1
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江戸時代のはじめ、この地には将軍家と関係が深い寺院がありました。
 『寛永江戸図(かんえいえどず)』によると、観音坂(かんのんざか)を下りきったあたりに「西福寺(さいふくじ)」「西念寺(さいねんじ)」が記されています。西福寺は慶長(けいちょう)三年(1598)、徳川家康が故郷の三河(みかわ)から呼び寄せた寺です。一説には、永禄(えいろく)三年(1560)の桶狭間(おけはざま)の戦いの際、織田軍に包囲された家康を救ったのが同寺の了伝和尚(りょうでんおしょう)で、家康はこの恩にむくいるため、新たな寺を寄進したともいわれています。
 寛永年間(1624~1644)にこの二つの寺が移転したあと、ここは内藤伊賀守(いがのかみ)の屋敷となりました。そして貞享(じょうきょう)四年(1687)以降は豊後府内(ぶんごふない)藩主である大給(おぎゅう)松平家の上屋敷(かみやしき)となり、幕末を迎えました。
 明治五年(1872)、この界隈(かいわい)は、神田淡路町一丁目(かんだあわじちょういっちょうめ)と正式に名付けられました。この名前は、鈴木淡路守(あわじのかみ)の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂(あわじざか)」(現・神田淡路町二丁目(かんだあわじちょうにちょうめ))に由来しています。
 明治五年当時は、町内のほとんどが華族(かぞく)である大給近道(おぎゅうちかみち)の屋敷地だったと『東京府志料』(とうきょうふしりょう)』に記されています。

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