旭町(あさひちょう)

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東京都千代田区内神田3丁目10
 旭町(あさひちょう)は、寛永(かんえい)年間(1624~1644)の江戸図によると、能楽師幸若太夫(こうわかだゆう)と、出羽(でわ)秋田藩の藩主佐竹義宣(さたけよしのぶ)の屋敷地でした。
 その後、天和(てんな)二年(1682)暮れの大火により、焼け野原となった佐竹藩邸は翌年、下谷三味線堀(したやしゃみせんぼり)に移りました。跡地は、新開地とあわせて町人地となり、永富町(ながとみちょう)二~四丁目、新革屋町代地(しんかわやちょうだいち)、元乗物町代地(もとのりものちょうだいち)の一部となりました。明治二年(1869)、これらの地域は「旭町」と改名されました。
 旭町は佐竹家の紋から付けられた名前であるということですが、佐竹の紋について調べてみると次のようなことが書かれています。文治(ぶんじ)五年(1189)、源頼朝(みなもとのよりとも)は藤原泰衡(やすひら)を討伐(とうばつ)するため奥州平泉(おうしゅうひらいずみ)へ向かいました。そのとき常陸国(ひたちのくに)佐竹郷(さたけごう)の武士だった佐竹秀義(ひでよし)は、宇都宮(うつのみや)で頼朝の軍に合流し御家人(ごけにん)となりました。秀義の旗が自分と同じ無紋の白旗であるのを見とがめた頼朝は、識別のために満月が描かれた自身の扇を与えて、旗の上に付けさせました。それが佐竹家の「五本骨の扇に月」の紋の由来になったといわれています。
 明治二年、このあたりが、慶長(けいちょう)九年(1604)から七十数年にわたり、佐竹藩の江戸上屋敷(かみやしき)だったという縁で、当時の役人が佐竹家の家紋から町名を考えたのですが、月を日輪と間違えて「旭」という町名が発想されたようです。  昭和四十一年(1966)に住居表示が実施されると、内神田二丁目(うちかんだにちょうめ)と三丁目(さんちょうめ)の一部となり、旭町の名前は地図から消えてしまいましたが、昔を語り継ぐように町会の名前として今でも存続しています。

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